いずれ恒例の「わたじゅんアワード」でも発表するが、表題の通り、別項立てて特筆したい物事がある。何度か書いてきたがテレビアニメ「青い花」にやられた。放送を観た9月ごろは本気で心奪われ、日中も仕事が手につかず、ボケーっとしていたことがあったくらいだ。こんな経験ちょっとない。「勇気をもらう」とか「感動をありがとう」という言葉は好きではない。勇気や感動はもらうものではなく、外から刺激を受けた上で自分の心の中から湧き上がってくるものだ。ただ、いままでポピュラー音楽やアニメといったポップカルチャー分野から受ける刺激というのは、大抵そういうポジティブな感情を喚起するものではあった。だがアニメ「青い花」が私に及ぼしたものは、そんなお気楽な感情ではなかった。もっともっとどしーっと重たく、今まで真面目に考えてこなかった「恋愛ってやつ」について思い悩む、そんな事態を引き起こした。恋愛というヤツに、女の子がいかに苦しむかということを、今更ながらアニメに教えられたんである。しかもそこに、容姿が多大な影響を及ぼすということを。何を今更自明のことを、といわれそうだが、いや、こうしたけっこう残酷なお話をストレートにしてみせるものって、意外と漫画やアニメではありませんよ。「美人でもないけれど、がむしゃらに頑張って真心を見せればいいこともある」「当たって砕けろ。砕けても全力尽くしたならいいじゃない」その程度の恋愛話が、世の中のアニメや漫画のほとんどを占めているだろう。野郎が主人公の場合でも多分、似たようなものだ。でも「青い花」はそうじゃなかった。どうしても「百合もの」のヒット作ゆえ、そういうジャンルの濃厚なお話と受け止められるだろうが、それ以前に相手が異性であれ同性であれ、そういうきっかけを呼ぶのはまず一にも二にも容姿から、という極めて残酷なことを原作は呈示する。主人公のふみちゃんは、あれだけ気が弱そうなのにもかかわらず、めちゃめちゃ惚れっぽく、杉本センパイにふらふらーと吸い寄せられていくところに、理屈はない。ふみちゃんは、初対面であまりに「キラキラ」している杉本センパイに心底ヤラれちゃった、というしかない。繰り返すがそこに理屈はない。確かに杉本センパイは文武両道でたいへんかっこいいのだが、そういう背景を知る以前にもう、ふみちゃんメロメロである。どうしてそうなったかというと、杉本センパイの容姿が素晴らしかったから、としか説明できない。で、杉本センパイがまたそういう「容姿の効能」に極めて自覚的だ。「自分でも鼻持ちならないやつだったと思う」と言い訳はしているが、「図書館の君」と呼んでくれる例の先生に振られた気持ちを吹っ切るために髪を短く切ったらば、とたんに学校中の女の子からキャアキャア言われ出した。自分の株が急騰したのを受けて杉本センパイは「女の子って、簡単だな」とシニカルに言い放つ。いろんな理屈捏ね回したり、「優しさとか、尊敬できるところとか、あの人のこういう長所が好き」とスペック的にあげつらうことを一切すっ飛ばして、恋愛感情を真っ先に発火させるものは結局、容姿なんだ。今まで私が目をそらしていただけかもしれないが、そんな残酷で根本的な現実を「青い花」に見せ付けられた気がする。もちろん男だって、かっこよさや器量のでかさということは恋愛対象となるかどうかの重要なポイントであるが、わりと「俺は俺だ。これで好きになってもらえなかったらそれまでよ」と割り切れちゃう気がする。しかし女の子は、その容姿次第で一足飛びにあっちゅうまに成就したり、正反対に全然戦いのスタートラインにすら立たせてもらえなかったりする。今更ながら、その酷薄さを思い知った。…ということが、まず原作とアニメ両方から受けた衝撃のひとつ。もうひとつは、女子高生の物語なのに、実に多様でオトナな世界を描いている、ということ。これはアニメ版を観ていて特にそう思った。以前も書いたが、アニメ版は偶然第7話「青葉のころ」から見始めた。これが結果的によかった。第一話からきちんと観ていたら、女子高内の閉じた世界でキャアキャアやってる甘く美しい浮世離れした世界なんで、途中で見るのをやめただろう。だが第7話は、例の「杉本センパイ宅に呼ばれたふみちゃんが、恐ろしい3人の姉に会う」という話である。youtube_write('');youtube_write('');「私たち、つきあってます」と粋がる杉本センパイの本心を軽々と喝破し、なーに言ってやがんでい、とばかり突き放す姉どもの迫力たるや。幼い高校生風情が笑わせんな、とオトナ側からきついパンチを浴びせたわけだ。初対面のふみちゃんにも(直接ではないが)容赦ない。主要登場人物の未熟さを指弾する、という物語自体がまずすごい。恐ろしい姉3人のエキセントリックぶりがまたすごい。そうして「これは女子高内だけで完結する話ではない」という広い視点、物語の豊かさを感じさせた点がまたまたすごい。先日の「BSマンガ夜話」で「青い花」が取り上げられたとき「このマンガには外部がない。大人が居ない」とされていたが、俺なんかからすればあの3人の姉は外部も外部だ。オトナではないかもしれないが、主人公たちとは違う目線の高さで斬ってくる。そして、特にアニメ版を褒め称えたいポイントとして「どこに力点を置くか」という違いが原作と際立っており、全11話でアニメ版ならではの見事な着地を決めたところ。美しく、ほっとできる結末を描けたことで、私は心底救われた気になった。変な話だが、私は本当に、ふみちゃんにはしあわせになってほしかったのだ。アニメ版では第8話「恋は盲目」において、追いかけてきた後輩の井汲さんをうざったくあしらう杉本センパイの描写が激辛だ。youtube_write('');youtube_write('');実はアニメ版は全話YouTubeにアップされており、熱心な外国人ファンが英語やスペイン語、イタリア語の字幕スーパーまで入れているのだが、それに群がった海外ファンもそうとう入れ込んでいて「スギモトセンパイ、ガッデム!ユルセン」みたいに熱いメッセージを書き込んでいる。原作本ではこの場面、そんなにページを割いておらずコマ割りも小さめで、あっさりした展開だが、アニメではもう杉本センパイが心底ろくでもないやつに思えてくる。だが第10話「幸福の王子」(このサブタイトルの皮肉たっぷりなことよ)で、そんな杉本センパイが実はいかに寂しくかわいそうな女の子か、それを見つめる後輩の井汲さんがまたどれだけ不憫か、さらにさらに井汲さんに振り向いて貰えない許婚がどれだけ立場ないか、という多重構造を一瞬にして描ききる。youtube_write('');そして、ふみちゃんが意を決して杉本センパイに決別を伝えるところは、ほんと、息を止めてみていました。こういう台詞の間合い、空気感で展開される場面だったのか、と感じ入った。原作を読むだけでは、ここまで濃密な場面だとは理解しきれていなかった。youtube_write('');それにしても、こんなに日常風景だけで淡々と進行し、アクションらしきものがない作品がアニメとして立派に成り立っちゃうんだから驚くほかない。一昔前なら「わざわざアニメにせんでも実写でできるだろ」といわれそうな題材だが、本当に、アニメでしか映像化できない詩情を醸し出すことに成功している。台詞の間合い、色彩設計、レイアウトが高度に計算され、オーバーな身振り手振りやカメラワークなど全然なくても「エモーショナルなアニメ」ができることを証明した。逆に「青い花」の実写化が可能か想像する。こんな間合いに耐えられる画面作りが実写でできるか。この詩情を伝え、演じきる生身の役者がいるか。はなはだ心もとない。そんなわけで、私にとっての2009年は「アニメ版青い花と遭遇した年」として長く記憶されるだろう。